FC2ブログ
スポンサーサイト
-- / -- / -- ( -- )
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--:-- | スポンサー広告 | page top↑
1月25日 高知の宿、三翆園にて。
2007 / 01 / 31 ( Wed )
宿の料理

ちょっと時間を潰して4時前、宿に戻る。すぐに風呂へ。妻と、外で落ち合う時間を50分後に設定して、それぞれの風呂場に向かう。私は、男湯ののれんをくぐる。今日は賑やかだ。

浴室に入り、掛け湯をしながら見渡すと、もう7~8人がいた。しばらくすると、どんどん人が増えて、30人近くになった。60代を過ぎた方が、ほとんどだった。皆さん、お水はしっかり飲みましたか。まさかビールなど、入浴前のアルコールは絶対禁物ですよ。と、心配になるお年の方ばかり。しかし30分も経つと、ほとんどが出ていった。事故もなくて、よかった。その隙をみて、誰もいない外の風呂場で、腕立て伏せ。なんとかノルマをこなす。

風呂から出て、待ち合わせのホールに行くと、すでに妻はマッサージ機に身を任せていた。かなり疲れた様子。ここは缶ビールの自動販売機があります。うれしいです。ただし、アサヒのスーパードライだけだけど。キリンビールの営業マンの方、もっと旅館に一番搾りを売り込んでください。ひとくち、飲んで、渡す。妻も、ごくり。風呂上がりの一杯は、どのビールでもおいしいんだけどね。ご年配のおばさん達が独特の賑やかで、10数人通り過ぎていった。どうりて。

今日は刺身がメインだったので、今日は土佐牛のステーキがメインということだった。口に運んだ妻が、ひとこと。冷めてる。でも冷めていても、おいしいもん。寿司に、照り焼きに、あら煮、てんぷら。どれもこれも、おいしゅうございました。高知の味が、十分に堪能できました。お酒飲みながら、ご飯もけっこうお代わりしたもの。

就寝前の、入浴を、妻は辞退した。今日の風呂の混み具合が、よほど嫌だったらしい。私は、さっと済ませ、缶ビールを買って、部屋へ戻る。明日は、帰途につくのだから。
スポンサーサイト
19:21:54 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
1月25日 高知市内の散策。
2007 / 01 / 30 ( Tue )
高知散策


朝8時過ぎに、朝食の会場へと行ったが、広いホールは閑散としていた。昨日の風呂場を考えれば平日だし、そんなに客はいないのか。ひじきの煮物、スクランブルエッグ、ベーコン、鮭の切り身、温泉卵、サラダ、納豆などなど、別にこれだけ揃っていれば文句はない。妻は、温泉卵、つまり半熟卵のぐにゅっというのがキライだ。むろん納豆にも手を付けない。痩せるのにね。捏造発覚があったばかりか。でもカラダにいいんですよ、納豆は。

部屋へ戻ってテレビを見ながらくつろいでいると、ノックがあった。何時頃に出られますかと。連泊だからゆっくりさせてよ、と言いたかったが、10分後にと告げた。いろいろ掃除や片づけの手順があるのだろう。とりあえず宿を出て、すぐそばの木曜市の場所へと向かう。

簡易屋台の中に、色とりどりの野菜や果物、惣菜に、切り花。さすが南国土佐。見ているだけでも楽しい、とりわけ色彩が鮮やかだ。この市は、曜日ごとに場所を変えて、ほとんど毎日開催しているらしい。土曜日だけは、なかったっけ。なかでも日曜市は結構な賑わいを見せるらしい。買物客と店の主人との会話の様子から察すると、暮らしに根ざし、しっかりと台所を支えている雰囲気だ。スーパー、コンビニなんかより、風情があるし、何よりも人情、人と人の心が通い合っている。妻が品定めをする真剣な目を見れば、わかるもの。本当に、買いたそう。

さて歩き出すと、どこという当てもないが、見上げれば城が見える。あそこへ、行こ。ぶらりぶらりと歩きながら、本屋に立ち寄った。高知県の地図を買う。でも、私はとにかく、トイレに行きたい。城への門をくぐると、やはりあった。ほっとする。

階段嫌いの妻も、少しずつゆっくり昇る。途中城壁の工事現場がある。解体した壁の岩を、またはめることになるはずだ。パズルのようで、さぞ楽しかろ。なんてね。ほぼ一番上まで来た。まるで天上の小さな公園。天気も良く、風も吹かない。心地よい。この下の層を見やると、体操する初老の人がいる。またひとり、そんな年代の人が走りながら昇ってきた。コースだ。ここはジョギングには最適ですね。さて、まだ天守閣があるが、ここはパス。

城からの景色をひとしきり堪能して降りる。文学館がある。りっぱだ。造りも城とマッチしている。駒場東大そばの世田谷文学館なんか木造で、歩くとぎしぎし音が鳴ったもの。続いて図書館に入る。高知市街の探索マップをゲット。図書館って、お持ち帰りできるパンフレットなんかが結構あって、重宝します。

その地図をたよりにアーケード街へと向かう。ひろめ市場。なんだろう、入ってみる。まるで室内屋台みたいになっていて、いろいろな店が定食やら、ドリンクやらを出している。定食、安い。のどが渇いた妻は、ペットボトルのドリンクを買った。でもよく見ると、ビールを飲んでいる人もいる。ちょうど飯時の後半。ま、いいのか。酔いつぶれの高知だもんね。

はりまや橋へ行き、広い公園に出る。ちょっと休む。すぐ向こうに将棋をする人がいる。まさか象牙ではないだろうが、おそらく白っぽいプラスチックの駒だ。城の麓の公園でも、そんな人たちが多かったが、縁台将棋ならぬ、公園将棋、いいですね。初老の人たちが多かったけど、頭を使うことはボケ防止、いえ認知症防止にいいことです。2、3、見ただけだけど、居飛車ばかりだった。三間、四間、中飛車、まして向飛車。高知の人は気をてらう戦法をとらないのか。私は社会人になってから2年後に、将棋も麻雀も葬り去った。しかし、このように顔を突き合わせて、おなじ局盤を見ながら頭を絞る。もう一度、やってみようかななどと。これがニンテンドーDSだったら、風情もなにもかもぶち壊しだよね。駒を手で動かし、お互いの息遣いの伝わるアナログ、絶対いいかも。

こんな光景は大分では、見かけなかったもの。高知では、人それぞれに着々と力を蓄えている、そんな気がした。でも、がんばれ大分。城下かれい、ふぐ、関さば、関あじ、以外にもおいしいもの、いっぱいあるんだからね。温泉、あるんだから。高知は、寂れる一方と土地の人はいうけれど、今も日々、力を蓄えて、鍛えている。
20:45:05 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
1月24日 高知の宿へ向かう。
2007 / 01 / 30 ( Tue )
ビルの跡

地図で旅館までは距離があるので、タクシーを利用する。私たちは乗り込んで、先に書かれた住所を言い、最後に旅館の名前、三翆園の名前を告げた。

そこやったら名前だけでも、わかります。有名ですから。と、運転手は言った。高知市内で唯一の温泉のあるところだから、やっぱり。もうひとつの旅館の名前も言って、ここは天皇陛下も泊まらはるところやからと。つまり高知で一二を競うところらしい。そして、さらに言った。

高知はさびれる一方ですわ、と。あそこは西武百貨店があったところですわ。さらに、市電が行き交いする交差点を右折すると、オリエンタルホテルは撤退しましたわ、と。その場所は、塀に囲まれている。ビル工事の気配もない。かつてあったものがなくなり、ただの空間だけとは本当に虚しいものだ。

タクシーは宿に到着した。古い木の門が横にあり、近代的な建物とは対照的だ。入ると、女の子のキャラクターが。ちよちゃん。武士のキャラクターには、かずとよくん。ん、ん、ん。功名が辻。山内一豊が、土佐の城主だったとは、考えもしなかった。じゃー大河ドラマ、終わったばかりだし、高知は賑わっているだろうに。

部屋はゆったりの洋室。食事はソファーのテーブルに部屋出ししてくれる。妻は内心、ホッとした。もう余計な話し声は聞こえない。洋室だから、食事も正座をすることはない。前に琴平へ旅したときは、1日2度の正座が2日間、音を上げたもの。ただし朝食は7時から8時30分までのバイキング形式。ま、いいか。早速、風呂入って、別府のようにかけ流しとはいかないけど、ここは温泉。そして食事へと。ここの大浴場でも飲み水を用意していた。さすが、ここは混んでいる。団体さんが多いらしい。

食事は、さすが高知と言うものだった。妻とともに、これはなに、これはあれ、などと話が弾んだ。なかでも、うつぼのたたきがあるなんて、知らなかった。もちろん、かつおも、まぐろもある。煮物、焼きもの、大満足。鮭なんて、出なかったから。熱燗2本がちょうど良かった。1本7勺位らしいけど。食った食ったで、2時間経って再び温泉へ。夜の12時まで、というのが残念だけど。妻は、星がきれいだったと言った。あちらは上の階で、屋根無しの露天風呂だものね。ちょっと残念。でも、満足してくれればそれでいい。
15:11:02 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
1月24日 別府から、高知へ。その2
2007 / 01 / 30 ( Tue )
宿毛

フェリーは宿毛に着岸。ここからくろしお鉄道の宿毛駅まで、歩くつもりだった。バス停横のトイレに入る。外から妻の話し声が、聞こえる。バスの発車時刻は過ぎたのだが、船の到着も遅れたこともあり、私を待ってくれるらしい。杵築でも、発車間際におばあさんがもう出ますか、と運転手に聞いたとき、ああいいよ、としばらく待っていた。都会なら、フンと発車してしまうのに。こんなゆとり、やさしさがうれしい。

バスは宿毛駅に到着。だだっ広い場所に、デーンと駅舎がある。きれいな駅舎だ。中に入ると、野菜や鮮魚が並んでいる。さっそく妻は品定め。旅行じゃなく、家が近くだったら絶対買う、魚や野菜が安いよ、と。どれもこれもが輝いてみずみずしいものばかり。地元の人が、うらやましい。

改札のアナウンスがあって、ホームへ昇る。うん、なんともない、跡もない。かつて、この駅では列車が激突して、運転手が亡くなった事故があったはずなのだが、そのことは妻には黙っておいた。ホームの電車、なんとアンパンマン列車。子供なら喜びそうだけど、私たちには、ちょっと恥ずかしい。

その列車に乗り込んで、別府で買い求めたカボスドリンクを飲む。カボス特有の強い香りが漂い、ちょっと酸味が効いているが、それをはちみつがやわらかく包んでいる、ほんのり甘くおいしい。妻は、これが3本目だった。東京にあれば、私もきっと買っている。やみつきになりそうな味わいだ。

そのアンパンマン列車は、宿毛14時48分発L特急南風24号岡山行。高知の到着予定は16時55分。2時間ちょっとの旅。駅舎の周囲では、土地の造成をしているのだろうか、道路工事が行われている。列車は、駅舎を出て、すぐにトンネルに入った。まさか、もうないと思うけど、無事に走ってね。

途中の窪川駅停車中に、妻が窓の外を見ていった。アンパンマン列車を見に来ているんだ、と。そっちを見ると、線路向こうの住宅道路沿いに男女5人くらいがこちらを見ている。みんな大人。子供は見当たらない。まさかね。しばらくして車が1台、その家族の直ぐそばで停車した。2人ほど出てきて、また並んだ。そうか、見送りなんだ。まだ列車は停車している。彼らは所在なさそうに話し合ったり、ふざけたり。その内、お年寄りの方も出てきて総勢10人ぐらいになった。列車が動き出す。私たちの後方に向かって、みんなが一斉に手を振りはじめた。元気で。からだに気を付けて。はちきれない笑顔がそう言っている。どこまでいくのだろうか、こんなに温かい故郷を離れて。

ここも単線。山あいを抜け、川を越え、海をチラリと見ながら、ただただ列車は走る。そのうち列車は時間をおかずに停車するようになった、高知が近づく。線路の横に高架がズラリと並びだした。ここも大分と同じで、線路を上に揚げるらしい。完成間近かの様子。列車はするりと高架の柱を抜けて駅に滑り込む。高知、到着。
10:08:08 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
1月24日 別府から、高知へ。その1
2007 / 01 / 29 ( Mon )
海の上


昨日、3度目の夕食、数々出される料理のひとつに、小さな鍋ものだが、やっとだんご汁が登場した。初日はチゲ鍋。二日目はすき焼。素朴で決して贅沢な味わいではないが旨かった。これが初日に出ていたら、もっと印象は変わったろうに。仲居さんが、あまりお話をなさらないのですね、と言っていたけど、土地らしさが感じられなくて言葉がなかったから。それと今日の朝食の味噌汁はおいしかった。具に肉厚のしいたけが入っていて、香りが深く、味わいもどっしり。大分のしいたけは旨い。これも天ぷらに加えて欲しかったな。温泉も十分に堪能したし、概ね満足。妻も、同じ意見だった。

別府8時50分発のにちりん宮崎空港行きに乗車する。喫煙できる自由席に。30分に駅に入ったが、もうすでに列車は到着している。この駅が始発だったのだ。どうりて車内はガラン。私たちだけ。空いているんですね、と車掌さんに話しかけると、大分と延岡から混み出しますから、と。気さくそうな人。土地の人には何故か優しさ、親しみやすさを感じるから不思議。私たちは、佐伯で降り、そこからフェリーで宿毛に渡る。発車する頃には、5~6人が乗り込んでいた。

大分を過ぎ、市街地を抜けると日豊本線は単線となる。山あいを抜けて臼杵に到着。妻が窓の先を指さす。前はここから鉄道があったのかしら、と。その方向の駅の案内表示に、JR○○線の○○に白い紙が貼られている。廃線か。赤字路線の切り捨てで、また不便が生じて、人が去っていくのだろうか。その廃線跡を歩いてみたい気持ちになった。

津久見を過ぎて10時5分、佐伯に到着。フェリーの出航は11時。時間あるけど、どうする、と妻に言ったけど、結局は港に向かうことにする。フェリー乗り場も閑散としていた。それほど乗客は多くない。乗車待ちの自動車も5~6台だったから。やがて乗車の案内が出て、船に乗り込む。30数年前にこのフェリーで、宿毛から佐伯に渡ったことがある。学生時代だった。

汽笛が鳴り、窓からの風景が少しずつ動き出す。いよいよ出航、宿毛には14時に到着予定、3時間の船旅だ。南側の海は輝いている。黄金の海だ。かつて学生時代、須磨から垂水に向かう列車から、海沿いを見たときを思い出した。輝く海面の中で、小さな黒い影が揺らいでいる。漁に向かう漁船なのか。ここではその輝きを遮るものがない。ただただ、美しい。

しばらくして二人で甲板に出る。風はあるが寒くはない。いい天気だ。陸地から連なる半島が見える。漁船がフェリーを追い越していく。少しは揺れるが海は穏やかだ。九州がだんだんと遠ざかっていく。おいしかったよ。でも、もっとがんばれ別府温泉。がんばれ大分。いいところ、いっぱいあるんだから、もっとアピールしなきゃだめじゃん。

船室に戻りごろっと横になると、私たちはしばしの眠りについた。
20:00:35 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
1月23日 素敵でした、坂道の城下町。
2007 / 01 / 29 ( Mon )
城下の城下町


昨年の大分を訪れたときに、杵築の城下町、行ってみるといいですよ、と聞かされていたので、行くことにする。10時49分発の特急で杵築までひと駅。

駅舎前の木製の燈籠から、案内パンフレットを取り出し、杵築バスターミナル行のバスに乗り込む。料金190円。JR杵築駅付近ではまばらだった民家も、市街地に入ると住宅は密集している。駅と市の中心部は、結構離れているのだ。バスは、杵築地場の野菜、特産品、海産物などを販売している、ふるさと産業館近くのターミナルに到着。

妻と一緒に、パンフレットのイラスト地図をたよりに歩き出す。城山公園に差し掛かる。杵築城があるらしい。奥ははっきりと見えないが、おそらく階段があって城まで昇ることになるのだろう。妻は、私、行かないからね。と。階段が苦手なのだ。歩けばダイエットになるのに。

またしばらく歩くと、右手に白い土塀に挟まれた石畳の階段が見えた。勘定場の坂、とマップには書いてある。土壁の瓦屋根の向こうで梅がほころんでいる。他に観光客は、初老の夫婦が歩いているだけだ。静かだ。門の向こうに茅葺き屋根の屋敷が見える。落ち着いたたたずまい。妻は、この光景が気に入ったのか、この坂道にも文句は言わなかった。

しばらくそんな通りを歩いて、縁台が置いてある広場に出た。ここで座ってしばらく休憩。寒くもなく陽が降り注ぐ気持ちのいい観光日和だ。ここから遙か下まで石畳の階段が続き、道路が横切り、その向こうにも登りの坂が見える。向こうも高さはこちらと同じぐらいか。地図では、こちらが酢屋の坂。向こうは、志保屋の坂。この場所はいい景色が望める絶好の高台だ。地元の人だろうか。女性がゆっくりゆっくりと昇ってくる。こんにちわ、と軽く挨拶をかわすと子供たちの声のする方に行った。幼稚園があるのだ。こんな場所に。送り迎えは大変だな。

その酢屋の坂を降りる。妻は言う。下からだったら絶対昇ってないからね。でも、なんだかんだでこの高さにいるのだから。素敵な場所は、苦痛を吹き飛ばしてくれるらしい。坂の煙突の突き出た屋敷は、味噌屋だった。きっと、いい味噌だろうな。道路は整備のために一部工事中だった。今度は、志保屋の坂を登り、南台武家屋敷跡へたどり着く。妻の息が上がっている。ゆっくり歩くことにした。先ほど休んだ向こうの高台を見やると、ほぼ同じ高さだ。よくここまで昇ったものだ。

所々、更地や駐車場と化した土地もある。お寺の境内の一角には、大きく屋根瓦がずり落ちた屋敷。それぞれ長い年月を経て、維持も大変だろうと思う。なんとかこの風情だけは残して欲しい。飴屋の坂を下り、また新しい建物だろうか、周りと調和させた杵築市役所を見やりながら、また坂を上り北台を抜けて、番屋の坂に向かう。妻と、ここへ来てよかったね、と語り合う。ここの坂でガイドに伴われた7~8人の観光客に出会った。こんな素敵な場所、もっと人が来てもおかしくないのにね。じりじりと太陽の照りつける暑い夏の方が、かえってマッチするかも。などとも。

坂を降りて、一般道をバスターミナルに向かう。向こうから30人ぐらい集団が近づいてくる。ちょっと感じが違う。韓国からの旅行者だ。そういえば大分駅で、同じデザインで、色使いと文字だけを変えた3種類の観光ポスターが並べて貼ってあった。日本語、中国語、韓国語の3枚だった。九州は、そんな観光客が多いのだろう。ターミナルにたどり着くと、隣の駐車場に大きな観光バスが1台止まっていた。もっと日本の人にも、坂道の城下町、杵築へ来てもらいたいな。知って欲しいな。とにかく、素敵ですから。
13:47:20 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
1月22日 夕食の席で。
2007 / 01 / 28 ( Sun )
宿に戻り、食事前の温泉に。この宿は、大浴場の入口に冷たい麦茶が置いてある。これがなによりうれしい。以前、琴平に行ったときは、水飲み場はどこにもなかったから。妻と一緒に、一口、二口。入浴前の十分な水分補給は必須ですから。妻は、たまに湯当たりするという。なので、麦茶を入れたコップを持って、女湯へ入った。

今日は、誰も入っていない。では久しぶりに腕立て伏せなどを。これと入浴を繰り返していると、汗が噴き出した。1時間近くを過ごして出る。妻は、火照った顔をして麦茶を飲んでいる。ちょうど出たばかりといっていた。うん、長湯はいい、ダイエットのためにもいい。

昨日と同じように、部屋を出て、2階の食事の場所へと向かう。席に座ると、隣にはもう先客がいて話し声が聞こえた。妻が笑った。あれ、岡山弁よ、と。私には、方言で少し分かりにくいのだが、妻には、話しの内容がすべて解るのだ。

今日は、ビールと日本酒を1本ずつたのんだ。昨日は日本酒2本だったけど、ほとんど冷めてしまったから。今日は最初をビールとした。その岡山からの客は、膳を運ぶ若い仲居さんとも話しをしている。同じくらいの子供がいる様子。顔は見えないが、そんな年輩の雰囲気だった。

食事がかなり進んだとき、妻は、はっとなった。私がおらんようになってもいいの。そういう風に聞こえた。
しばらくして妻は言った。旦那さん、かなり辛そうよ。長い間、人生を共にしてきて、男にとっては当たり前の日常が、妻にとっては耐え難い日々だったのか。

食事が終わって出るときに、妻が仲居さんに聞いた。岡山の人でしたね。と。仲居さんは、あのご夫婦は、明日は湯布院へ、そしてまた次の温泉地へと、だんだん岡山に近づきながら、帰ると。その先で、また今夜のような会話になるのだろうか。奥さんのことを、しっかりと考えてあげてください。この旅行で、いい関係を取り戻すためにも。
19:29:19 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
1月22日 大分と別府をぶらり。
2007 / 01 / 28 ( Sun )
大分別府

宿を出て、通りへ。天気はまずまず。トキハ百貨店に入ってみる。歩き始めると、トイレに行きたくなるのが私の常。2フロアにわたる婦人服売場を見て、妻は言う。ヤングと書いてあるけど、若い人の服は少ないみたい。なるほど。つまり別府には、若い人が少ないということなのか。温泉地巡りというのも性に会わないので、メイン都市の大分に向かうことにする。

駅を降りて、アーケードのある商店街を歩く。平日とはいえ静かな人通りに妻は拍子抜けした様子。一角の八百屋にさしかかると、妻の目が輝きだした。ホワイトアスパラなんて、めったに売っていないのよ。ここの野菜は、産地表示がある。大分の大根、水菜、ほうれん草、きゅうり、トマト、なす。生しいたけやカボスは大分の本場だ。

妻は安いとは言わなかったが、みずみずしい新鮮な地場野菜がふんだんに並んでいる。宿の料理も、もっと地場のものを使えばよかったのに、と思った。何でもない野菜からも、その土地の臭いがして、土地の顔が見えるものだから。

県庁向かいの城壁、滝廉太郎の銅像などを巡って、大分駅へと引き返す。大分駅の東側のガランとした様子に、妻は、どうするんでしょうね、こんな広い土地、とつぶやいた。広大な駐車場。線路の南側にも、空き地が拡がっている。来年に国体が開催されるが、ほんとうにどうするつもりだい。未来が見えないよ。

普通列車で別府に戻る。まだ、午後2時前。妻の健康を考えて、山の方に歩くことにする。本当は、もちょっとだけ痩せてねと。この頃になるとにわかに空が曇り、山の方にも雲が立ちこめてきた。降ることはないだろうと歩き出す。天気予報は晴れだったのにね。どんどん坂を上ると公園に出た。名前は、そのままの別府公園。もうひと工夫ほしいような。私はその先にそびえるタワーが気になっていたので、そちらに行こうとする。妻は、まさかあそこまで行くんじゃないでしょね。妻の息が上がっている。公園で歩くペースを少し緩めた。

公園の西側に近代的な建物が見えた。ビーコンプラザと言うらしい。人気がなく、冷徹な輝きを放っている。確かに見事な建物だけど、なにか違和感。自治体は大きな箱ものを作りたがるけど、本当に地域の人々の暮らしの中に役立っているのだろうか。そしてランドマークと言うべきタワーの下に到着した。ここで、妻は座りたいと言った。ちょっと歩かせすぎたか。私は、タワーを、グローバルタワーと言うらしいけど、下から見上げる。確かに昇れば、別府湾を一望に望めるかもしれない。でも、それだけ。

さて、あとは下るだけ。ちょっと横を見ると、レトロな赤煉瓦の建物があった。へえー、いいじゃん。この建物の方が、よほど温かみがある。道路側の門には、京都大学理学部地熱研究所とあった。なるほど、だから温かみがあるのだ。ずーっと、下り坂をひたすら歩く。体育館、市役所を過ぎて、なおも歩く。一本のよぎる道路を見渡すと、遙か先に日豊本線のガードが見えた。今度は、そちらへ歩く。

4、5人の小学生がわいわい喋りながら歩いている。近所のおばあさんが通りがかり、なにやら会話。ほれ、みかん、あげよ。と。ほほえましい。こんな光景、東京じゃないもの。ご近所みんな知り合い。会話がある。ここなら小学生だって、安心して通学できますね。

日豊本線のガードをくぐり、海の方に向かうと、街並みが少し変わった。古めかしい、なにか懐かしいような、ホッと安らぐような。魚屋さんの店先でヒレを干している。貸店舗、売り物件なども目に付くけど。古い瓦屋根二階建ての旅館、というのもある。のぞき込むと猫が何匹もいた。妻は声を掛けたが、愛想のない様子。そんな旅館が道の両側に何軒もある。営業しているのだろうか。でも、そんな風情の残ってくれたことに感謝したい。

さらに歩くと、妻が、ここ、リフォームのお店が多いね、と言う。木枠のガラス窓の向こうでミシンを走らせるおばさんがいる。その反対側にも、そんな店が。ものを大事にすることって、いいことだよね、などと。

宿の通りの向こうに岸壁が見える。ちょっと海を見たくなった。旅館街の裏をぬけると、岸壁の手前でなにか作業をしている。旅館から、厨房機器やら、部屋の金庫やらを運び出しているのだ。改装か、それとも廃業か。そういえば、この近隣にも、歯の抜けたような駐車場が点在する。私たちは、海が望める岸壁に出た。海鳥が、直ぐそばの堤防で群をなして休んでいる。天気は悪いが、海はおだやか。海はいいね、とうなずきあった。
15:24:31 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
1月21日 別府到着。
2007 / 01 / 27 ( Sat )
別府2007


午後3時前に、別府到着。昨年の年末にも、ちょっとだけ立ち寄ったが、駅のコンコースでは煙草の吸える場所が見あたらない。チェックインの予定時間も3時だったので、とりあえずタバコが吸える宿泊場所に向かうことにする。

海側へ、駅前広場を越えて、歩道のある広い通りをしばらく歩くと向かいの右手に、レトロな感覚の銭湯というか温泉、入浴施設がある。いつ頃たったのかしら、古そうだけどいい感じ、と妻が言う。

通りのこちら側は、金網のフェンスで囲まれただだっ広い空き地がある。前は何があったのだろうか。ここになにか施設を作るだけでも、雰囲気は変わるのに、建築計画の看板もない。ここ、なんとかした方が、いいな。なにか寂しいもの。

銀行やパチンコ店を通り過ぎると、焼けこげた建物があった。更地の中にぽつんとある住居ではあるまいが、なにかお店だったところか。早く取り壊すか、見えないように囲うかしないと、ちょっと印象が良くないですよ。

百貨店の横を過ぎると、幹線道路のような交通量の多い道路に出た。ここを越えると旅館だ。海沿いは高さを競うように、ホテル、旅館が林立している。その道路沿いの一角に、暗く沈んだ、手入れのない、周りをフェンスで覆われた建物がある。もうすぐ、解体されるのだろうか。これも別府の現状を象徴しているのかもしれない。

ホテルに着き、チェックインを済ませると、部屋の準備の間、ロビーで抹茶を味わう。かわいい金平糖が添えられていた。3粒、私はすべて食べた。妻は、1粒しか食べなかった。あっ、気にしてるんだ。そのことは、あまり触れないようにしよう。

仲居さんに部屋へ案内され、浴場、非常階段など、一通りの説明を受け、夕食券、朝食券のチケットを渡される。ん、ん、ん。部屋食じゃないんだ。ま、いいか。別の場所に、個室で用意されているらしい。仲居さんが出ていった後、冷蔵庫を開ける。げっ、スーパードライしかない。しかもアルコール類はビールだけで、ミネラル水とか清涼飲料はあるが。残念、日本酒が好きな私にとっては、お酒も置いてほしかった。

幸い、部屋を直ぐ上がった所が、温泉だった。さっそく、二人で湯に。もちろん、ここは男湯と女湯に分かれている。1階には家族風呂もあるらしいが、まずは大浴場。日曜日の夜の4時過ぎ、さすがに私ひとり。ほんのりと温泉らしき臭いが湯から立ち上る。私は知らなかったが、妻はちょっと口に入ったら、しょっぱいと言っていた。すぐ横が海だから、なのかな。温泉は、温まる。しばらくすると汗が噴き出す。まだ明るい、別府の街並みが望める。ほんとに、温泉はいい。長湯をしない妻に、5分くらい待たされたもの、よほど気持ちよかったのだろう。おかげで、私はちょっと冷えた。ま、いいっか。それで、少しでも妻の体重が減ってくれれば。

さて、食事。個室とはいえ、いわばパーテーションで仕切られた飲み屋のようなもの。でも、妻はなにより脚が伸ばせることに安心した様子。和室の部屋出しとなれば、女性だから正座となるわけで、ちょっぴり重りを持った妻には苦痛だったから。でもここは、宴会客の声高な会話、隣室の客の会話、仲居さん達のやりとりが伝わってくる。音が筒抜けなのだ。そんなこんなで食事が終わる。あとで、仲居さんがあまりお話をされてなかったですね、と言ったけど、その通り。会話のはずむものではなかった。その後で、妻とも話しをしたが、食事に大分らしさがなかった。品目は多かったけど、鮭のホイル焼きを出されたときは、思わず、ん、となったもの。やはり、妻も同様の感想だった。大分で鮭が獲れるわけでなし。

その土地ならではの顔、それが見えない食事には、いちばんがっかりさせられる。たとえば山奥の旅館で出される刺身。昔だったけど、唖然としたもの。そんなもの出さなくても、山菜とか地野菜とかなにか作れるでしょう、といいたかったもの。ま、日本人には刺身がないと満足しないバカが多いですから。らしさの主張がほしかった。私は、この食事で、早くも飽きが来てしまった。あと、食事は5回ある。そのことは考えずに、温泉を楽しもう。妻も、やはり同じ思いだった。
22:26:07 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
1月21日 大分の別府に向かう。その3
2007 / 01 / 27 ( Sat )
小倉駅

新幹線の小倉駅で下車して、日豊本線に乗り換えて別府へ向かう。特急ソニックは、1時間に2本あり、1本は小倉を出て、行橋、中津、別府の3駅目だが、もう1本は、行橋、宇島、柳ヶ浦、中津、宇佐、杵築、別府の7駅目になる。所要時間の差は6分だ。

ちょっと早い時間に小倉に到着したので、駅停車の少ないソニックの自由席、発車30分前に余裕を持って並ぶことができた。駅で聞いたが、指定席はすでに満員だったから。

小倉発13時46分発、L特急ソニック。博多から来た列車はここで折り返して、また来た方向へ向かうことなる。つまりここで進行方向が逆になるわけだ。乗り込んだ車内は、すでに座席が回転されていた。3分の2くらいが埋まっていたので、その乗客があらかじめ回していたのだろう。おかげで私たち夫婦は、すんなりと座ることができた。

ぼんやりと車窓を見ながら、かつて妻は、バス旅行で湯布院に2回訪れたときのことを語った。20年くらい前と、7~8年前に。その2度目の時は、以前とは湯布院の表情がガラッと変わったという。新しい建物や施設がいっぱいできたのだ。誰かも、そんなことを嘆いていた人がいた。みんなが押し寄せるところは行きたくない。だから今回の別府も、あえて駅から近い宿を選び、湯布院は考えにも入れなかった。

湯布院が注目されだしたのは、10数年前だったろうか。鄙びて、静かで、ゆったりとくつろげる温泉街だったはずが。去年に読んだ大分日々新聞に、湯布市は活況、別府市は停滞、という評価あったのを思い出した。1999年と2005年の湯布市人口は35,822人から36,758人へ。人口増加率は102.6%。別府市は125,622人から122,930人へ。人口増加率は97.9%。つまり、減少なのだ。がんばれ別府温泉。

妻の思い出を振り返りながら、やがて列車は別府へ到着した。
16:51:26 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
1月21日、大分の別府に向かう。その2
2007 / 01 / 23 ( Tue )
私が乗車したのぞみ11号博多行、名古屋が近づくと妻からメールが入る。近所の人に、岡山まで車に乗せてもらうので、私が乗車した列車に乗り込むという内容。妻は、ほとんど1時間に1本の井原線、新見経由の伯備線で岡山だったのが、任意の時間に着けるのだ。

それはいいが、ここは自由席。今は、空きがあるが油断はならない。妻の席を確保しておかねば。席がなければ私の上に座るという。妻の重さを考えたら、それは勘弁。名古屋に停車前に斜め前の2列シートが空いた。私はそこへ、荷物とともにスルスルと滑り込む。ひと安心。

しかし京都で通常の乗車客に加え、スーツ・ネクタイ姿の会社員風10数人の団体が乗り込んできた。かなりやばい。みるみる座席は埋まりだしたが、まだ隣はかろうじて確保できている。大阪でも、誰も降りない。すげーやばい。もうこの車両に空きは数席。その一つが通路側を私が陣取った窓側の空き席だ。

この会社員の集団は、どうも昨日に京都で社内会議があり、ホテル宿泊、チェックアウト後に新幹線乗車と、そんな雰囲気が何となく読めた。平日は営業業務に勤しみ、土曜日に招集をかけられて営業会議の名目で、叱咤激励をかけられ、日曜日に家族の元に帰る。などと想像しながら。

新神戸で彼らの2人が下車した。もうこれ以上混むことはない。妻はもう岡山のホームにいるだろう。妻にメールを打つ。ホームには、この号車の位置に何人ぐらい並んでいるかと。返事は、わたしひとり。安心した、ほどなく列車は岡山に到着し、妻が乗り込んで、私が確保し続けた窓側席に座った。私の安全も守られた。よかった、無事に、大分、別府温泉を目指すことができる。
20:51:35 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
1月21日、大分に向かう。
2007 / 01 / 22 ( Mon )
妻には念のために、7時に起こしてもらうことになっていたが、6時過ぎには目が覚めた。私は目覚ましを持たない。集中力で起こされることなく目覚めるのだ。家を出た7時きっかりに電話があり、もう私が動き出したことに妻はちょっと拍子抜け。

さて、岡山で待ち合わせるために、本来は8時58分に乗るつもりなどだが、8時20分に乗れた。岡山で降りるので自由席。品川から乗り込むと、東京からの乗客が座っている。しかし3列シートと2列シートに一人ずつなので、3列シートの通路側に座れた。

9時過ぎ、新富士駅を通過。家を出るとき東京はどんよりした空だったが、ここでは富士山がくっきり望めた。ラッキー。穏やかないい天気だ。それにしても日曜日というのに、工場の煙突からは煙がもくもくと立ち昇る。このあたりは製紙工場が多い。働いている人がいっぱいいるのか。それとも完全無人化で、人気のない工場で多数のロボットがもくもくと動いていたりして。やがてそんな時代がくるのかもしれない、などと。

静岡駅を通過。日曜日の朝の空気が澄み切っているせいか、遠くの山々がくっきりと見える。東京の空は汚れすぎている。富士山はめったにしても、高尾あたりの山の稜線が見えることは少ないから。

車内ニュースが、流れる。ヒラリー・クリントン上院議員が、時期大統領選に立候補を表明。民主党の予備選とかあって登り詰めるのは大変だろうけど、誕生すれば初めての女性大統領。世界中の女性を勇気づけるに違いない。

車窓をよぎる茶畑の緑が鮮やかだ。車内ニュースが流れる。緑茶飲料、清涼飲料のペットボトルに異物混入で、回収へ。中身は破棄か。せっかく作ったお茶が無駄になる。むなしい車窓の茶畑だった、これがペット飲料になるとは限らないけど。

京都に近づくと、車内ニュース。納豆でダイエットは捏造だった。あるある番組は、打ち切りも。とうとうやってしましましたね。うそをついたらいかんぞ。でも1日に2個も食べなくて、1個で食事内容を管理すれば、健康なカラダ作りはできるのに。みんな、ダイエットに踊らされるんだな。
10:04:03 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
今日は、大学のセンター試験ですか。
2007 / 01 / 20 ( Sat )
今日は、雪もちょっとちらつきました。受験生の皆さん、風邪を引かないようにしてくださいね。

ところでこのセンター試験って20年以上続いているのでしょうか。私が高校生や学生の頃は、なかった制度ですから。子供もいないし、ピンときませんが。直接の合否を問うわけでは試験って、なんだかかわいそう。余計な負担を強いているみたい。おまけに、こんな早い時期に。

私たちの時は、一期入試が3月の3、4、5日。二期が23、24日と遅めで、その間に中間の公立校の入試があったりしました。もう、30数年前ですが。

で、私立大学は2月くらいに入試をして、とっとと合格発表をして、くそ高い入学金やら授業料を前納させよう、というシステムでした。今は、結局行かない大学に納めた入学金やらを返還してくれるそうですが。

ともあれ高校生の半分以上が、100万円以上も出して大学へ行って、それでろくろく勉強しなかったら時間とお金のムダですね。当時、お金がなくても行けた大学は、防衛大、防衛医科大、自治医大と記憶しています。今は知りませんが。本当に、社会に役立つ人間を育てようとするのなら、高いお金なんか要求せずに学生を育てたらいいのに。

だいぶ前ですか、アメリカの大学が日本の各地に分校を作りました。いまや、そんな話題はとんとありません。あれは、教育とはほど遠い一種のビジネスだったのですね。また、地方のへんぴな場所に大学を作って大量の外国人留学生を受け入れた、そんなこともありましたね。その結果は、ご存知の通りです。いまも、そんなことをやっている大学は多々あります。教育よりも、ビジネスですか。

私は、とにかく直ぐに社会に出て仕事をしたかったという高卒学歴の人の方が、意気や覇気を感じます。10数年前に韓国からの留学生と話しをしたことがあります。日本の大学生は、とにかく勉強しない。彼らは、頭も悪いと。その言葉が、今も頭に残ります。大学生のレベルでいうのなら、日本は、韓国、中国、インドに、はるかに劣ります。日本の大学を卒業しても、言葉の読み書きのレベルが低い人、算数的な計算ができない人、根本的な知識の欠落した人、いっぱいいますから。

ま、学生時代、ほとんど勉強しなかった私が言うのもなんですが。でも、その入試にまつわる、ごめんなさいがあります。一年浪人して、で、2月受けた大学にとりあえず受かって。もちろん行く気もありません。でも、親はその大学にお金を払え払えと。だって、その入学金とかのお金だって20万円くらい必要ですもの。ガンとして、私は突っぱねました。

その代わり、受かることを最優先したのです。一期と二期のうち、二期は2つを併願しました。あぶないかなー、というのと、絶対大丈夫と。結果、一期を落としたので、絶対の方を受けて、とりあえずお金を納めました。だって、入学金と前期の授業料を合わせても、1万円でしたから。でも、私は大学に行かずに籍だけ置いて、結局は親に無理を言って2浪目となる予備校に通いました。でも社会に出てから10年くらい経ったときに、この時に、私がここを受けなければ、合格した人がいたはず、と思ったのです。そこに、行きたいと願った人。行くつもりもないのに合格した私。それで、はじき出された人は、はたして可哀相なのか。

でも、レベルってのがありますよね。本当にその学校の教育を理解できる資質があるのか。そりゃーペーパーテストの入試だけでは判別できません。意欲、才能、その他が、適合しているのか。お金があるだけで、エスカレーターで大学になんて絶対おかしい。大学だって、これからは独立行政法人。儲かる大学、稼げない大学。大学ブランド菓子を作る大学。ワインを作る大学。漫画を創作する大学。色々あっていい。でも、犯罪を撒き散らす大学だけはやめてほしい。

センター試験、まだ明日もあるそうですが、頑張ってね。むろん、こんなブログなんか見ているようじゃ、駄目ですよ。

21:48:12 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明日から旅行です。
2007 / 01 / 20 ( Sat )
結婚してから初めての旅行となるわけで、いわゆるなんとか旅行というのでしょうか。ふたりとも50代で、なんとかもないでしょうけど。さておいて、その宿泊ホテルも、ネットで予約できるから便利になりました。数年以上前は、旅館ホテルガイドを見ながら、電話のかけまくりでしたから。

とりあえずは、IDのあるヤフーで。ヤフーサイト、旅行、国内、宿泊予約、地域から探す、観光目的を選んで。すると、ホテルや旅館がズラズラっと並ぶ。で、宿泊可能プランを選び、適当な料金プランをクリック。

満室とか、残室わずか、空室あり、などと表示されて、ヤフー画面は数ヶ月の状況がわかるのがいいですね。楽天は、この状況が見えないからキライ。予約の際に結構あるのがオンライン決済。私はクレジットカードを持ってないので決済不可能、よってこのプランはパス。じゃらんネットで予約も多い。じゃらんってリクルートですよね。これもうざいからパス。よって私は常に現地支払を選択。

名前、住所、電話などを入力して終わり。その画面をプリントアウトして保存。これをホテルに出せばOK、なんですね。昨年末まで、プリンターを持っていなく、この印刷の作業が面倒でした。

私の部屋には15年以上使っている感熱式のファクス機があります。今やトナーを必要としない感熱式ファクスはほとんどありません。もう受信しかできませんが。送信は、パソコンから送れるので問題なし。なので、ヤフーから送られてくる予約完了のメールを、自分のファクスに送信すればいいのですが。この時に電話線を、パソコンのモデムからのと付け替えて自分のファクス番号に送信するわけなのです。この面倒を、プリンターは解消しました。おかげで便利ですが、ペーパーレスから、また遠くなる。

さてさて、明日から、大分、高知への南国の旅です。私は東京から、妻と岡山で乗り合わせて向かいます。妻は、宮崎の高千穂峡に憧れていましたが、確か数年前に高千穂鉄道は災害で流失したと、聞いています。そこは、また、いつの機会かに。
12:59:59 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
テレビに夢中てす。シェパードの陸君。
2007 / 01 / 19 ( Fri )
テレビに夢中


さっき来た、妻からのメールです。

テレビ東京のポチたまから目が放せません。ウーって遠吠えしながら見てます。目を放すのはコマーシャルの時だけ。

という様子なんだって。この子は、今は亡き、まさお君が出ていたときも、やはり同じ状態で、うなりながら見ていたそうです。

いっぱい友達が欲しいのか、自分もあの中に入りたいのか、まさかテレビに出たかったりして。

は、は、は、一緒に暮らすのが楽しみです。でも、水に濡れるのが嫌いだからといって、散歩に行けない雨の日に布団袋にうんこしたり、肉野菜炒めの調理前のフライパンから、ちょっと目を離した隙に生肉だけを食べるのはやめてね。そうか、母さんのダイエットに協力していたのか。関心、関心。でも、うんこはいけないぞー。
21:08:22 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
レジ袋の有料化、どう思う。
2007 / 01 / 19 ( Fri )
有料化

杉並区では、スーパーのサミット成田東店で、有料化の実験が始まりました。実施ではなくて、実験というのが自信のなさを示しているような。

テレビにニュースでも、さんざん取りあげられています。でも大田区のスーパー、OKサガン店では17年前から1袋6円の有料化を実施しているのですね。客は、そもそも商品が安いから、問題ないとか。店でも、不要の段ボールを用意して、客がそれに詰めて帰るとか。

購入品を詰め替える台の上にある、小さなポリ袋のロールを、ペリペリと何枚も取っていくおばさんもいますから。タダやったらなんぼでも貰わんとそんや、みたいな感覚ですね。

ヨーロッパでは5割以上の買物客が自分のバッグを用意しているという。日本では、買物袋持参を呼びかけるスーパーでも持参客は15%ほど。これって文化度の違いですね。自然破壊や環境保護をしっかりと理解している意識の違いで、日本はヨーロッパの3分の1にも及ばないということです。

ゴミの問題もそう。あそこにゴミ捨てたはるわ。うちらも捨てよ。かめへんかめへん、誰も見てへんからわからへん。みたいなことでしょうか。そんなわけで、私も意識を変えなければいけません。マイバッグ、ちょっとやなので、風呂敷で。唐草模様の丈夫な風呂敷を探さなくては。地下足袋を履いて、頬被りした泥棒が、荷物を担いでいる、あの柄です。
14:09:25 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ケチャップ仕立ての野菜スープ。
2007 / 01 / 18 ( Thu )
ケチャップスープ


缶詰トマトを使わず、ケチャップの代わりに、味噌を入れたら豚汁になります。ちょっぴりトマト缶詰の消費期限、3年もあったのにそれが迫ってきたため、またやっちゃいました。

本当は、前も紹介したケチャップを使ったキャベツの重ね煮ですが、にんじん2本、ジャガイモ5個が残っていたので、ぶっこんじゃいました。

改めて使ったもの。人参2本、ジャガイモ小5個、キャベツ半分、豚肉小間切500グラム、トマト缶詰2缶、ケチャップ500cc、コンソメ4個。以上をぶっこんで煮ればいいのです。結局、鍋がいっぱいになってしまった。妻がこれを見れば、呆れるでしょう。こんなにいっぱいと。

缶詰のとうもろこしがあれば使うのですが、今回はなし。ケチャップのスパイスがよく効いていて、十分に温まります。額から汗が噴き出します。

じゃがいもが入っているのでボリュームも満点。はい、作って3日目です。今日はパンで食べました。水加減を調節して、茹でたパスタも具として会うでしょう。寒いときは、具沢山の味噌汁かスープ。暖かくて、おいしい。男の料理でした。
20:00:44 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
道路の無電柱化率は、東京がトップ。
2007 / 01 / 18 ( Thu )
電線

つまり市街地での幹線道路の無電柱化率は、東京がトップだそうです。以前何度か書いてきましたが、スッキリした空が見えるのはいいことです。銀座、表参道なんか、見渡しやすいもの。

しかし幹線道路というのは、車道と歩道が分かれているわけで、ある程度の安全は確保でき、安心して歩けるのはわかります。

でも、住宅街などの生活道路、自動車と歩行者が同じ場所を歩く道こそ、もっと電柱を取り除いてほしいと思ってしまう。

歩行者、乳母車を押すお母さん、自転車、脇を通り抜ける自動車、などが交錯して、さらに電柱がわずかなスペースをじゃましている、そんな場所はいっぱいあります。さらには、電力会社と通信会社が競い合って、ケーブルテレビや光ファイバー、携帯アンテナ専用の電柱もありますから。空を見上げると、電線がごっちゃごちゃ。喜ぶのは、カラスや鶫などの鳥だけですね。

無電柱化率の2番目は、なんと鳥取。30年前の学生時代に鳥取大学を訪れて、電柱無しのスッキリしたキャンパスに感心したけど、それが活かされているのですね。たいしたもんだ。ちなみにビリは奈良県だって。弁護するようですが、奈良盆地って、掘れば何かが出てくるから、きっと大変だと思う。そもそも遺跡の上に、田畑や住宅、道路があるわけですから。なりよりも安全で、安心して暮らせる街づくりをしてほしいですね。
14:54:53 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
神戸時代を振り返る。
2007 / 01 / 17 ( Wed )
何の縁があったのか知らないが、高校を出て、2年浪人して、神戸市のはじっこにある大学に学生時代の籍を置いた。

そこでは、一年留年して5年間通った。ま、30年以上も前で、授業料は年間で2万4000円と安かったこともあったが。最初の1年半は、奈良から大阪を通り、神戸を抜けて、垂水で降り、バスの乗って大学前で降りた。時間は、2時間とちょっと。交通費は、電車370円、バス30円の、400円だった。むろん定期は買っていたが。

はるばる来て、バスを降りても、結局は友達に誘われて、雀荘に行くことになるのだ。2年の夏が終わると、電車で通うのも面倒になり、垂水の海側にアパートを借りた。風呂は、もちろんなし。トイレは共同。4畳半に小さなキッチンがついて、1畳くらいの板の間がある。その窓を開けると、大家の屋根の向こうに漁港を経て海が見えた。家賃は9千円。その年の秋に、今の妻と知り合った。私は22才。彼女は20才だった。

当時、垂水の街は緩やかな斜面にへばり付くように、数々の文化住宅が軒先をくっつけあっていた。道は狭い。火事でもあったら大変。道も入り組んでいる。なんとか卒業して、社会に出て、その時には、振り返っても神戸は住んでもいいな、くらいの心地よさは感じていた。

震災の数年前、平成5年の5月に垂水から学園都市に移転した大学で、学科の周年パーティがあり、数人の友達と参加した。駅からその街に降りたったとき、周囲に拡がる綺麗で整った街に強烈な違和感を覚えた。

マンションも、住宅も、整然と配置されて整っている。背景には緑の丘がある。ただ街が冷たすぎるのだ。情緒感というか、感情が起こらない。ただ、きちんと整っているだけだ。その数年前には、神戸の高校で校門圧死事件があったのが頭に残っていた。この街に、やさしさや人の心はあるのだろうか、と。

パーティーの後、友達が運転する車で、神戸市内を巡ると、なにもかもが新しくなっていた。施設もきれい。でも何故かよそよそしい。それが、大学を出て15年ぶりに訪れた神戸の印象だった。

その2年後に震災は起きる。その数年後に、児童殺傷というおぞましい事件が起きた。あの無表情な街並みが目に浮かんだ。今から、5年前に学科の同窓生が40人ほど、垂水に集まった。時間がもったいないほど懐かしがって、大量の料理が残った。

学生時代は、深夜に六甲の山道をタイヤを軋ませて走り廻ったこともあった。阪神高速、若宮のカーブを何キロで抜けられるかを競ったこともあった。暴走族のお姉ちゃんとも知り合いになった。その筋の人と麻雀をしたこともあった。スナックにカラオケが登場して、歌ったのもこの街が初めてだった。

その懐かしさが、すべて飛びさった。慣れ親しんだ街なのに、今やよその街になっている。妻もこの街で、短大の2年間を過ごしている。妻も震災後直ぐに訪れて、愕然としたという。引き合わせてくれたことに感謝しつつも、あれから一緒になるのに32年も時間が掛かったぞ。神戸のせいでは、ないものね。今日は、1月17日。ニュースを見るたびに目頭が熱くなる。というより、涙が出る。自然災害を、決して人災に変えるなと。
21:30:47 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
もう12年、1月17日、大震災。
2007 / 01 / 17 ( Wed )
その日の朝は、東京でも揺れた。テレビでも、結構な震度を報道していて、奈良が震度4。めったとない大きさ。その当時、今もかろうじて建っているけど実家は築50年以上の木造で、子供の頃からちょっと傾いたボロ屋だったので心配だった。3時間くらい経って、やっと電話が繋がり、ほこりがいっぱい落ちたけど、家は無事、両親も無事ということで安心した。

地震から時間が経つとテレビはどの局も、空からの映像を捕らえていて、街並みから幾筋もの黒い煙が上がっている。長田の街。JRの線路から南は、商店街やら住宅の密集した地域だった。私はその一角にあった靴素材の問屋さんで配送のアルバイトをしたことがある。長田のJRから北の地域には、中小企業の町工場がいっぱいあって、ほとんどが靴を製造していた。工場からの注文に応じて、婦人靴、紳士靴に使われる人工皮革や布素材が大きなロールで用意されている。それを配送する運転役が私の仕事だった。

その街が、空からの映像で燃えている。映像をよく見ると、その先にも黒い点がいくつか浮かんでいる。それらは取材のヘリだとわかった。そんなにいっぱい飛んで、爆音は凄かろうに。その時、数年前の、横浜の住宅街を車で通りがかった時の出来事を思い出した。

ある街区にさしかかると、上空にヘリコプターが7~8機、円を描くように飛んでいる。凄い爆音だ。近所の人々が道に出て、その円の下方向の大きなマンションを不安そうに見やっている。何ごとですか、と聞くと、マンションに侵入した男が人質を取り立てこもっているという。

この爆音の下では、地上からの呼びかけも消されるに違いない。ましてやあの騒音の振動は、共鳴することもある。かつて私が住んでいたボロアパートもヘリによっては、部屋がカタカタと音がするのだ。ましてやその騒然とした状態、爆音が犯罪者の狂気をさらに駆り立てるのではないのか。不安を大いにかき乱す、嫌な音だ。上空を舞うヘリが、ハゲタカのように見えた嫌な光景だった。

震災の神戸。迫る炎の中、這い出せず助けを求める人がいたはず。そんな声を、上空を舞うハゲタカの爆音が消し去ったのだ。地上では、テレビカメラを肩にしたハイエナたちが、餌に飛びつくように、災害現場に殺到していただろう。おまえら、救助のじゃまをするなと。被災者の方は、言いたかったろう。ましてや人が生み出した騒乱の中で、助かるはずの命を落とされた方は、本当に無念だろう。

今日も、ハゲタカは爆音を散らして飛ぶ。ハイエナは、東京で起きたおぞましい事件の現場に食いつく。マスコミは、餓えた獣のようだ。そういえば、40代後半の朝日新聞局長が年収1900万円。55才には2100万円をイメージしている、なんて情報がインターネットを飛び交っている。なんとリッチな、不幸な人を食い物にしてブクブクと育つハイエナだろうか。朝日新聞、辞めようかな。配達、集金する人は、いつも笑顔で挨拶を交わす気持ちの良い人なのに。
14:41:58 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
穏やかな陽射しの中で。
2007 / 01 / 16 ( Tue )
光の恵み

昨日はひんやりしていた空気も、今日はさらに穏やか。ほんとに真冬かい、と聞きたくなる。それでも、近所の人との挨拶は、寒くなりましたね、と。

善福寺川を通りがかると、キラキラ輝く光の中を、鴨が泳いでいる。黒い小さなのはまだ子供か。

それにしても真冬を忘れてしまうような天気。しばらく行くとまた鴨が20羽近くはいる。今年は、ちょっと多いような。

太陽の恵みで、暖かく、人も、草木も、鴨も、育っている。私も55.3キロ、ちょっぴり下っ腹が育っている。公園のベンチで腕立て伏せ。以前は、曲げて伸ばすとき、完全に腕の関節を伸ばしきっていたのだが、それでは筋肉の緊張が持続しないらしく、かえって効果がないとか。完全に伸ばしきらないようにして、20回。

暖かい日がある限り、ささやかなストレッチは続けようと思う。納豆ブームより、カラダを動かさなきゃね。ついでに一駅分を歩いてと。とっくに歩け歩けで1日60分は忘れていたから。
20:41:32 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
売れる家、売れない家。
2007 / 01 / 16 ( Tue )
売れる家

昨年、大きな家が壊されて、なんと5棟の一戸建てが一度に建設された。ほぼ完成に近づくと、ほとんどが契約済みとなっている。

建築・販売は近隣の工務店。結構、数々の新築一戸建てを手掛けている。広い寮の跡地なんかを買い上げて、10数戸の一戸建てをまとめて建設し、それがまた見事に売り切っている。

実績が信頼に結びつき、その信頼が実績に結びつく。そして住む人の満足度が表れているのだろう。

一方で、半年くらい売れない家がある。前にもチラッと書いた、普通の一軒家を潰して、2棟建てた物件。数週間、同じ色の幟が立って、ある時、幟の色が変わっている。つまり、販売担当の不動産会社が変わっているのだ。その売れない家も、来月にはどこの不動産会社になるのだろうか。

まるでたらい回し。それも2棟、揃って売れていない。もう駅徒歩10分以上でも、更地の坪単価は248万円になっている。去年の秋に、坪200万を超えたと聞いたばかりなのに。一極集中の場所では、確実に上がり始めている。そんな思惑を各社が秘めて、静かに販売合戦は始まっている。どうな人が暮らすのだろう。そして住み心地に満足すればいいが。
11:39:16 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
久しぶりのチキンラーメン。
2007 / 01 / 15 ( Mon )
2007チキンラーメン

は、は、は。妻が知ったら、呆れるかもしれない。私は、インスタントラーメンなんか、ここ10年くらい食べたことがない、と言ってましたから。

でも、チキンラーメンは1分ちょいで作れるし、これはネギたっぷり、溶きタマゴ、なんと焼豚入り。豪華でしょ。やっぱり呆れるか。でも、ひとりだもん。おいしいもん。

鍋に450ccの水を入れ、3本100円の長ねぎ1本を斜め切りにザバッと入れ、煮立ったら5袋198円のチキンラーメン1袋を放り込む。20秒経ったら、麺をひっくり返して、100グラム100円の焼豚を3切れくらい入れ、10個180円のタマゴ1個を溶き卵にして流し込む。蓋をして麺投入から1分ちょい経ったら出来上がり。鉢に入れたら、私は酢をちょっと加えます。

ん、前にも紹介したような。ま、いいか。カップ麺にはできない芸当です。お湯を注ぐだけの手軽さはいいけど、それだけじゃーものたりない。やっぱり、私は断然、袋麺です。

32年前の学生時代に、妻がインスタントラーメンに薩摩揚げを入れて、作ってくれた。まだ彼女は二十歳だった。でも、その頃の手料理は、それしか覚えてなくて、焼肉とか、煮物とか作ったでしょ、というけど、すっらかんに忘れている。あまりにも、遠い昔です。
23:13:34 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
梅が咲いた。早すぎる。
2007 / 01 / 15 ( Mon )
1月の梅

まだ1月の15日である。もう梅がこんなに、咲いている。と言うことは、蝋梅はすでに咲ききっているのかもしれない。

昨年は、この公園の梅も3月くらいから咲き出したと思う。暖冬とはいえ、なんだかおかしい。

モスクワでは、気温11度で100年来観測史上最高の気温だし。ドイツも18度。イタリアでは、雪不足でワールドカップが開けないとか。

シベリアの永久凍土、タイガが溶け出して、流氷が北海道に接岸しなくなって、このままどんどん海水面が上昇していくと、笑っていられないぞ。

杉並区で始まったレジ袋5円の有料化も、あながち拒否できないし、賞味期限をとっくに過ぎてしまった食品も、計画を立てて消費しないと、もったいどころではない。

それこそ、そのゴミを燃やすために地球の温暖化が加速して、やがては江東区が水没したり、お台場が水浸しになったら、それこそ日本沈没だー。
16:33:59 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
2007年、出だしはどうか。
2007 / 01 / 14 ( Sun )
新しい年になって2週間が過ぎた。いざなぎ景気越えと言うけれど、実体は大きな疑問符がつく。おぞましい殺人事件にマスコミは飛びつき。連日の報道にうんざり。つい見てしまう、自分もいけないと思う。

不二家の賞味期限切れの牛乳使用。ちょっとショックな事件。子供の頃の憧れだったパフェ類。50才をとうに過ぎても、ときどきハート型のピーナッツチョコや、カントリーマアムは買いました。おいしいもん。

かつてこの浜田山にも不二家のショップがあって、ある友達は、不二家のシュークリームはおいしくってクリームがいっぱい詰まってる、と感激していたことを思い出す。そのショップも消えてしまった。

ロッテとか明治製菓や、次々湧き出るスイーツショップに押されて大変だったと思うけど、ペコちゃんやポコちゃんを悲しませてはいけないぞ。かつての文化だっただけに、ほんとうに惜しい。

かつて雪印で騒ぎがあったとき、父も牛乳を飲んでお腹をこわしたという。どうして届けでないのか、と聞くと、かわいそうやん。と答えた。それほど、信頼のブランドで、ちょっとくらいは大目に見よう、というやさしさだったのかもしれない。

不二家もそういう目で見たいのだが、世の中はシビアだから、許さないかも。そして納豆のようにブームに踊らされるから。どう変動するか、予測も難しいぞ。2007年、よくない話しばっかりが目立っている。
22:34:51 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
瀬戸内海産の蛸の足。
2007 / 01 / 13 ( Sat )
たこ足

まだありました、妻の置き土産。瀬戸内で獲れた蛸を直ぐに水揚げして干したものです。なんでも売り物にならないから、貰ったとか。

海水だけの塩味がほんのり付いて、日であぶるとまさに磯の香りが部屋に漂います。これで十分においしい。国産の蛸が味わえるなんて、なんて贅沢と思ってしまう。

蛸は良質のタンパク質で構成されていて、タウリンが豊富。亜鉛もちょっぴり。肥満を気にする人には打って付けの食材です。納豆より蛸を食べれば良いではないか。でも値段が高いか。

蛸といえばたこ焼き。学生時代は神戸市のはじっこで、明石に近かったからたこ焼きというか、明石焼きをよく食べました。形は一応まん丸ですが、これは普通のたこ焼きのようにカリッと焼くのではなく、しっとりとしたアツアツで、ダシにつけていただくもの。あー、懐かしい、明石焼き。

その蛸も、最近売っているのはほとんどモロッコ産で、それも資源が枯渇していると聞きます。乱獲するからそうなるのにね。しかし瀬戸内海がうらやましーぞー。
16:52:07 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
妻が残した、最後の千枚漬。
2007 / 01 / 12 ( Fri )
千枚漬け

昨日、妻は岡山へ帰った。そして、向こうでたっぷりと作り、これらへ持ってきてくれた千枚漬けも、残すはこれだけとなった。

千枚漬けと言えば、京都のものが有名で、大きな蕪大根を輪切りにして漬けている。同じものとはいかないが、このように手作りで、作れるものとは知らなかった。

手作り、それがなかなかおいしいのである。これだけでご飯3杯はいける、というと妻は笑っていたが、私は結構漬物好きだ。ただ、市販のものでは、めったとこれはというものに巡り合ったものがない。

十年以上も前まで、奈良の実家に帰っるときの楽しみが、母親が漬けた水菜の漬物だった。ほどよく塩分があって、しゃりしゃりして、ちょっぴり醤油を掛けるだけで、本当にそれだけでご飯が食べられたものだ。

あとは、なすびの糠漬け。濃い紫色のなすびが部分的に茶色に変わる、それくらいの浸かり具合が好きだった。デパ地下で、なすの糠漬けを何度か買ったが、どれもこれも大きな期待はずればかり。やはり慣れ親しんだ味には勝るものがない。

でも、唯一、買って満足のいくもの、それは日の菜漬だ。細長~い大根、だろうか、のようなものを漬けて、昆布で締めてある。これさえあれば、あとは何もいらないの真骨頂だ。これも実家で、もう水菜も茄子も漬けることができなくなった母親が出してくれたものだった。

で、東京でも日の菜を探しまくった。デパ地下にあった。なかでも東急東横地下のショップで売っているのが一番だった。すんごくおいしい。その店も、2年前に東急の改装とかで追い出されたみたい。他でも日の菜は、売っているが、いまいちだったので買う気も起こらない。その店の名前、メモっておけばよかった。東京のどこかにその店はあるはずだから。残念。

ま、でも、おいしい漬物がひとつ増えましたから、もちろん妻の千枚漬け。次回が楽しみ、でも、また違う漬物を作るような気がする。それも楽しみ。
21:04:03 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
売場から消えた、納豆。
2007 / 01 / 12 ( Fri )
昨日、スーパーに立ち寄ったら、納豆売場に紙がベロンと下がっている。さる番組で納豆を紹介されて、そのために品薄状態が続いているというお詫びの文面だ。

その番組とは、日曜日のあるあるか。などと思っていたら、今日の新聞に記事が出ていた。納豆、完売、続々と。だって。

おかめ納豆3パック100円の特価を楽しみにしている私にとっては、えらい迷惑だ。もっとも特価では、3パック88円、まれには68円もある。

ミツカンの金の粒、が売れているらしいが、私は一度も買ったことがない。一度は確かにあった。朝日フレシアの名前が付いていた頃だ。今はミツカンに変わっているが、その時の一度キリ。あまりおいしくなかったもの。臭わない、を売りにすると、味が落ちるもの、と感じたから。

一番好きなのは、旭松の納豆いちだけど、近所のスーパーでは売っていない。旭松はおいしいからあれば特売でなくも買ってしまう。麦入りの納豆もたまーに買う。

納豆騒ぎもその内に収まるでしょうけど、たまねぎだってミキサーにかけてオレンジジュースやパイナップルジュースを加えて飲めば痩せるんだよ。一年かかるらしいけど。たまねぎのチオスルフィネートが脂肪を燃焼させ、システインが余分な脂肪を排除するから。それにガン・糖尿病・動脈硬化の予防になるのに。去年、思いっきりテレビでやっていました。ま、当分、納豆は我慢しましょ。

そういえば、その番組を気持ち悪そうに見ていた納豆嫌いの妻が、一昨日の食事で私がご飯に納豆を掛けるとき、ちょっとちょうだい、といって20粒くらいかけました。やっぱり気にしてるんだ。世の中にもそんな人が多いんだ。2週間で痩せても、油断すれば直ぐににリバウンドするのにね。それより根本的に体質を改善して、カラダの新陳代謝を高める方が、先だと思うけど。
12:35:59 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
血の通う人はいるのか。荒む東京。
2007 / 01 / 11 ( Thu )
もやの空


奇しくも東京・渋谷区で惨たらしい事件が2件あった。歯科医師宅。外資系投資顧問会社勤務。現場中継場所にはハゲタカが群れるように多くの取材陣が殺到し、雑誌、テレビなどのマスコミは面白おかしく、これを報じている。

人は、そんな悲惨な生涯の閉じ方を、その後も無惨な扱いを受けなければならないのか。ため息ばかりが口に出る。

この東京の空の下で、一体何が変わったのか。まさか。信じられない。驚きました。ありきたりの三連発。

あの人が、そんなことをするなんて。というより。あの人がそんなことを、に駆り立てるものは何なのか。それにつきると思う。

今日も東京の空の下には、どんよりと黒ずんだモヤが懸かっている。まるで悪鬼の吐き散らす臭気が漂うように。人はその臭い息に正気を失うのだろうか。悪霊退散と言いたいが、それらがこの地に住み着くのならば、こちらから去ろう。魑魅魍魎が渦巻く東京から。

21:10:56 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
東京巡り。
2007 / 01 / 11 ( Thu )
東京巡り

妻が出掛けたいと言う。かといって、どこへ行きたい、という場所もないらしい。そんなわけで、昨日は天気もいいので、ゆりかもめ、に乗ってみることにした。

地下鉄で新橋に向かい、そこから乗車。もうすでに、車両は到着している。その車両をあきらめて、次の車両で一番前の席、と思ったが、もうカメラを手にした欧米系の若いカップルが、その場所で待っていた。

東京の湾岸を一望できるゆりかもめ。2年ぶりの乗車だ。ビッグハットで博覧会的なイベントでもない限り、乗ることはないのだが。この日は、ビッグハットもガランとしていた。ゆりかもめも空いているわけだ。

新橋から豊洲まで、ほんの少しずつではあるが、ビルが増えている。廻りになにもない場所に、市場、の駅があったり、まさに開発途上というところか。私のかつてウインドの拠点だったお台場も変わったが、豊洲も様変わりした。豊洲は、ボードを車に積んでお台場に向かうときに通過する場所だったのだ。石川島播磨の工場や倉庫などが並んでいたのが、いまやゆったりとしたビル群。やがて大勢の人で賑わうのだろうか。

有楽町線で、豊洲から月島へ。月島で大江戸線に乗り換え、六本木へ。六本木ヒルズは、完成してからは一度も行っていないので、この機会に。完成前は、何度もパスにのって通ったものだが。六本木ヒルズ、プライドだけは高そうな店ばかりだ。さて、次は乃木坂から表参道へ。

六本木から乃木坂へ向かう途中に、東京ミッドタウン、かつての防衛庁があった場所。もう、ビル群は完成間近の状態だった。いつの間に。時の経つのは早い。この前、工事が始まったばかり、などと思っていたのに。

さて、千代田線の乃木坂から表参道へ。20年くらい前に、5年間働いた場所。同潤会アパート、転じて表参道ヒルズ。なるほど違和感なく建っている。ビル内部のショップは螺旋の緩やかな回廊のようだ。各ショップの表情も、六本木に比べると気位がない。さすが安藤さんですね。全体的に、雰囲気がやさしい。

ビルを出て、表参道から明治神宮方面を望む。妻が、向こうはあんなに人が多いの、とぽつり。ま、確かに人は多いです。私たちは、人通りの比較的少ない裏路地を通って渋谷に向かった。そこはキャット通りと呼ばれている。東京は、どの街も変化に満ちている。古き良さも残しつつ、いい方向に進むことができればいいのだが。
12:25:28 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム | 次ページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。